瞑想

ここでは、「 瞑想」 に関する記事を紹介しています。
◎はじめまして!

ディヴァインスペースHrDAYAという瞑想&ヒーリングサロンを運営している瞑想、ヒーリング教師のブログ日記です。インドの聖者の智恵から生まれた誰でも簡単にできるフリダヤ瞑想と深い癒しをもたらすシャクティヒーリングを教えています。詳しくは本家サイトをご覧ください。ここでは、瞑想の話し、日々の雑多なお話しとか色々書いていますので楽しんでください。


瞑想を続けていると、日常で時々言いしれぬ深い悲しみや怒り等のネガティブな感情が湧いてくることがあります。

それは別に何か特別なアクシデントがあった訳でもないのに、いきなり内側から沸き上がってきたりします。

あるいはずっと何とも嫌な感覚が胸やみぞおちの辺りに渦巻いた状態が何日も続くこともあります。

マーヤ(幻想)あるいはカルマと呼ばれるものが解放されるときに起きる現象がこれです。

このときはどんなに自分が良い事を考えようと思っても、内側の悲しみや怒り等の刺激によってマインドが勝手にあらぬ妄想を作り出し、色々な考えが沸き上がってきます。

でもそれは自然な事です。あなたに責任はありません。
人生を幸福に満たしたければ心の平安が必要です。心は荒れ狂う海の様なものです。心は瞑想のような方法を通じて統制しなければなりません。瞑想は完全なる静寂へと繋げる方法です。あらゆる不幸や苦しみは心の動揺が生み出します。

そもそも心とは存在しないものです。心とは欲望が折り重なって作られたものにしか過ぎません。ですから瞑想を通じて心を滅することができれば欲望や無用な執着が消えて意識はより純粋な物へと変化していきます。

意識とは心とは別のものです。心はこの肉体に依存する存在であり、肉体が消えてしまえば同時に心も消えてしまいます。心を自分のエゴ、マインドと言い換えても良いでしょう。いずれにしろ自分が自分だと思っているその存在そのものをより純粋な意識(静寂、「空」、ブラフマー、パラアートマ)に向けて行くことが瞑想です。
DS(ディヴァインシャクテイ)冥想はフリダヤ瞑想の「空」と静寂の体験を積むことでその本領を発揮します。

DS冥想は神やババとの融合を目指す冥想法です。

フリダヤ瞑想を通じて、シヴァ神とマザー(パールバティ、カーリー(ドルガ)、ターラ、ラクシュミ等)と偉大な覚醒者達の力を借りて自らのカルマを浄化し、悟りに必要な基盤を作り出します。

悟りに必要な基盤とはそれは静寂です。深い深い静寂の体験こそが悟りに近づく上で大切な必須条件です。

もし、心がいつも波立ち、静寂を経験してなければどんな修行を重ねても悟りは得られません。ですからまず静寂を強く自らの中に作り出す必要があります。その為にフリダヤ瞑想はあります。

神の実体は沈黙です。神はそれ自体が深い静寂です。

故にそう簡単に神が話しかけて来たり、声が聞こえたりはしません。

もし、そんな事が起こったら、まずはそれは神ではなくて、神を語る何か他の存在だと思った方が良いです。

神はそれ自体が深い静寂であるが故に神を知るためには自分自身が深く静寂の中に入っていかなければなりません。

あなた自身が深い沈黙の中で過ごさなければなりません。

そうしなければ神を発見することは出来ません。

なぜ瞑想が大切かというとその為です。
最近はほぼ毎日最低でも4時間以上は瞑想するように心がけています。

深夜は大抵瞑想しています。

誰にそれを強要されているわけでもなく、ただ自然に自分からをそれをやるようにしています。

何故なら自分の仕事は瞑想を教えることですから、それだけ沢山のエネルギーを自分自身にチャージして置く必要があります。

そして瞑想すること自体が私の仕事だと思うからです。

静寂の獲得には神さえ時には障害になると書きましたが、では、神のサポートは必要ないのか?というとそれは違います。

これはとても矛盾しているように聞こえるかも知れませんが、静寂の体験はとても大切ですが、同時に静寂だけでは本当の悟りに至ることはできません。

そもそも悟りを得るにはたとえどれだけ自分一人が静寂を経験して瞑想を重ねても、土台無理なんです。
瞑想は何かをイメージしたり、またマントラを唱えることでもありません。

瞑想とは心の内側にある静寂というただ一点にのみ意識を向けることです。

つまり何かが見えたり、聞こえたりすることでもありません。

まして、神や天使と話しをすることでもありません。

パタンジャリのヨーガスートラにはもし瞑想中に神や天使がとても美しい姿で現れても、そして天国への門が開けられてもその誘惑に決して乗ってはいけないと述べています。

それはすべて誘惑です。これはとても奇妙な事ですが、静寂という一点を探す旅においては時には神さえ障害になります。
すべての苦しみは結局は自分が苦しいと思うからこそ生まれるものであって、苦しみの原因は自分自身です。それ以外の答えはありません。

なら、その自分自身を無くすか、変えてしまえば苦しみは生まれない訳です。

瞑想を通じて何故人は苦しみから自由になるかというと、それは苦しみを感じるあるいは生み出す自分自身から自由になるからです。

人は自分が何であるかを知りません。

ある人は自分のこの肉体が自分だと信じています。

ある人は自分の考えが自分であると信じています。

また、ある人は自分の感情が自分だと思っています。

本当の自分とはそれらのいずれでもありません。

私とは何か?

私とはこの肉体でもなく、この思考でもなく、この感情でも無い者です。

それは魂と呼ばれる者です。

では魂とは何か?魂は神だろうか?魂とは仏だろうか?

では神とは何か?仏とは何か?

魂、私の本質の事をインドではアートマンと呼びます。

そして、アートマンはこの宇宙のすべての本質であるブラフマンと同じだとウパニシャッド哲学では言っています。

偉大なシャンカラと呼ばれた聖者がこの教えを説きました。
瞑想は恐いものだと思っている人も少なくありません。

心を空っぽにすると何か悪いものに憑依されるのではないとか恐れる人もいます。

確かに間違った瞑想法を行うとそういうことがおこります。

ですから最近流行りのスピリチャルな集まりやセミナー等で安易に瞑想はしない方が良いです。

瞑想についてよく分かってない教師が勝手な方法で瞑想を教え指導していますが、間違った方法で行う瞑想ほど恐いものはありません。

また書物とか読んで勝手に瞑想法を実習しても同じことがおこるかもしれません。

あっちこっちの教室に出入りしている人は非常に霊的にアンバランスになります。

ですからそういう事から早く足を洗うことをお奨めします。