コラム全般

ここでは、「 コラム全般」 に関する記事を紹介しています。
◎はじめまして!

ディヴァインスペースHrDAYAという瞑想&ヒーリングサロンを運営している瞑想、ヒーリング教師のブログ日記です。インドの聖者の智恵から生まれた誰でも簡単にできるフリダヤ瞑想と深い癒しをもたらすシャクティヒーリングを教えています。詳しくは本家サイトをご覧ください。ここでは、瞑想の話し、日々の雑多なお話しとか色々書いていますので楽しんでください。


NHKの大河ドラマは去年の「風林火山」から引き続き「篤姫」も見ています。最近は一年かけて作る作品とは他では少ないので楽しんでいます。

番組中に何度も「一報を聞いて沙汰するな!」というセリフが出てきますが、これって鹿児島ではよく使われる言葉だそうです。

昔から鹿児島のシンボルでもある桜島は見る場所や、日によってその表情をコロコロと変えることから、物事を一方的に見て聞いて、決めつけてはいけないという口癖が生まれたとか。

これは日々の生活の中でも自分が平安である上で心がけたいことだなと思います。

特に自分が会ったことも無い人の事をただ噂や特定の人の意見だけを聞いてその人を勝手に良い人だとか、悪い人だとか決めつけてはいけないといつも思います。
自分を愛しなさいと言いますが、その自分とは何でしょうか?

シャンカラという偉大な聖者は自分とはアートマン(真我)以外の何者かだと言っています。それは誤った知覚から生じた偽りの者であると言います。

ですから幾ら自分を大切にして、自分を愛してもそれが偽りであるのならそこから真の平安や真理は発見出来ません。

例えば、何か自分が願っていた事があったとします。そしてそれが叶えられなかった結果、落ち込んだり、傷ついたとします。

愛する人を失ったり、自分が病気になったり、様々な人生に起きる一見良くないと思われるすべての事がやって来たときに私たちは自分を慰めます。

そして、気づいた自分を立ち直らせる為に一生懸命に自分に愛を送ったり、あるいは誰かの手助けを借りて自分を癒やそうとします。
神の教え、聖者が説く教えには大きく分けると「万人に明かされる教え」と「ある限られた人に伝えられる教え」があります。

顕教と密教という区別がそれです。

同じ聖者でも説く教えは大衆一般に向けて説く教えと限られた弟子にしか明かさない教えがあります。

一般的には大勢の弟子達が集まるようになるとその教えは次第に密教的な教えから顕教的な教えへとシフトしていきます。

万人に説かれる教えは誰が聞いても理解できる教えです。多くの人が簡単にでき、そして人生をより良いものにすることができる教えです。ですが、そこには限られた情報とパワーしかありません。
神は有形か?無形か?

これは古代から何度も論争されてきた事です。

この事についてパラマハンサ・ラーマクリシュナという聖者はこう言っています。幾つかの文献からの抜粋ですが・・・。

偉大なるブラフマンは無相無形(相対的な世界では形もなく一切の認識が不可能)であるが、人間の信仰の力、神への愛に応じて有形の人格神となって現れる。だから一見神は様々な形をとっているように思われるのである。ある1つの形をとった神が正しく、他の形が間違っているといったものではない。神の様々な形は神の人間への愛の現われなのだ。無性のブラフマンを知るためには自我を完全に滅却する必要があり、普通の人間には難しい。

一方、有形で人格を持つ神の方は親しみやすい。人の個性は様々であるから、人と神との繋がりもまた様々である。神と繋がるための具体的な手段としては宗教儀式や偶像崇拝がある。迷信として非難される偶像崇拝もラーマクリシュナは「真珠を育成するために必要な母貝」として称揚する。それによって神を愛せるならば偶像大いに結構とするのである。

人生にツキや幸運が舞い込んで来ると喜びを感じ、人生に不幸がやってくると悲しみを感じるとしたらあなたは幸不幸の奴隷です。

そしてそれが一番不幸な状態です。

人生がすべて自分の思い通りになることなどありません。

期待したことが起きることを願い、それが叶えば喜び、叶わなければ失望するとしたらあなたの心はあなた以外の何かにいつもコントロールされているということです。

幸不幸の出来事の奴隷になることなく、目の前で起きることが何であればそれに左右されることなくいつも自分の中に平安と至福を得たいと願うのなら、それを得るための唯一の方法は瞑想するしかありません。
あなたはあなた自身がどんなに否定しようとも神の源泉たる存在です。

あなたのハートには神が住みます。

そしてあなたの行動の原動力は神への愛です。

もし、あなたがあなた自身の中に神を見いだすことなく、目の前にある事象の優劣(これも思い込み)や、自分の欲望の成否だけを追い求めるのなら決してあなたの心は満たされることはないでしょう。

最近はヒーリングスクール、様々なテクニックを教える教室等も増えてきました。それだけ癒やしということに皆が興味を持っているんだと思います。

一言にヒーリングと言っても様々です。

瞑想法だって色々です。

その中でどれが本物かどうかを見極めるのは非常に難しいです。

結論から言えば自分に合うものがあればそれで良いんだと思います。

自分にとって不都合な事が起きたとき、期待が裏切られた時、あなたよりも成功している人がいるのを見て嫉妬するとき、失望したり、傷つけられたと思う時、罪悪感に苛まれた時、すべてがあなたが成長できるチャンスです。

そう言うときこそあなたが一番自分のブロックを浄化し、より神へと近づくチャンスです。

人は調子が良い時、自分の思い通りに物事が進んでいる時は自分を振り返りません。自分に問題があるとは決して思いません。

だから何か問題が起きて、自分が傷ついたと思えるときが来たらそれはあなた自身を振り返るとても良いチャンスです。

その時こそ、深く自分の中に入りなさい。深く瞑想に入り、あなた自身のエゴとプライドとあなたのすべての問題を手放しなさい。

そしてすべては神があなたを成長させる為にもたらしたギフトだと思いなさい。
師、マスター、グルと呼ばれる人達は皆、ある種の権威のパワーを持っています。

カリスマ性とでも言うものでしょうか、とにかくある種のパワーのオーラを纏っているものです。簡単に人を近寄らせない何かを持っています。

日本やアジアの伝統では弟子は師を敬い、ある意味近寄りがたい存在として距離を置いて関わります。

ところが西洋主義の精神世界の教えではこういう考え方はあまり良しとはしないようです。

師もまた人間である、弟子となんら変わらない存在だ、だからこうした権威主義はむしろ悪である。

すべての伝統や格式は破壊してしまった方が良い、そして平等であるべきだ・・・・
私は好きな事をやって生きています。なので、あまりストレスを感じることはありません。

まあ人間ですから些細なことで感情的になったりはしますが、どうしようもない程のストレスを感じて胃が痛くなるなどということはありません。

そういえば胃が痛くなるほどのストレスを感じたのはいつぐらいだろうと思い出すと多分、20代の頃、まだ普通にプログラマーの仕事していた頃だろうと思います。

それから今の仕事を志してからは胃が痛くなったことはありません。まあ、食べ過ぎたり、空腹過ぎて胃酸過多(笑)で、痛くなることはたまにありますが。

昔は人に言われて、人に従って、人に使われて仕事をしていたのが一番のストレスだったんだと思います。自分の思い通りにならないことほどのストレスはありませんから(^^) 

それに比べれば明日はどうなるか分からなくてもすべてを自分の好きなようにやって生きる今の方がずっとストレスがありません。自分がやったことの責任はすべて自分ですから非常に単純明快です。論理的にもその方がスッキリしていますから今の状況は非常に気に入ってます。