苦行は好きでやるもの

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苦行と聞くと現代人は嫌がります。それがどんなものでも嫌がります(笑)。

インドに行くとそれが異なってきます。インド人は苦行好きです。それは古くから苦行を推奨しているバラモン教やジャイナ教が未だにインドには残っているのに、苦行を否定した仏教がインドにはまったく残ってないことからも分かります。
インドの人達の多くは苦行をすることは良しと考えています。それにはジャイナ教の考え方が深く浸透しているからだろうと思います。

ジャイナ教は2500年ぐらい前にマハビールという聖者が開祖として生まれた宗教です。でも、実際にはマハビールがすべてを考えたのではなくて、それ以前にインドには沢山の聖者が何人も登場しています。それらの教えをマハビールはすべて吸収し、再統合してジャイナ教として教えだしたのだろうと歴史家達は言っています。

マハビールの前にはマハビールを含めて24人のティルタンカーラ(アリハン=覚醒者)が存在し、それぞれが信仰の対象になっています。

ジャイナ教の教えはとてもシンプルです。仏教とは違って、霊魂の存在を認め(仏陀の最初に説いた教えでは霊魂は否定されています。意外でしょ!仏陀の教えはこの世はすべて関わりの中で生まれる縁起であり、そこになんら実体はないと説きます。ですから何かが生まれ変わり続けるなどという実体は存在しないと考えます。今の仏教はヒンズー教の影響を受けた教えです。)、人は生まれ変わる中でカルマを作り出す。しかもそのカルマは霊魂のまわりに付着する霊的な物質なので、それを祓い落とさない限りは悟りや解脱は得られないとしています。

ではそのカルマはどうやって消すことができるかというと徹底的な苦行によって消えるというのがジャイナ教の教えです。

なんで苦行によってカルマが消えるのか?そこが面白いのですが、苦行のことをタパスと言います。タパスは熱という意味もあります。神はタパスによって偉大な力を発揮するとも考えられています。タパスは恐らくシャクティと同じ意味です。

そして、苦行はこのタパス(熱)を自らの中に発生させるのでカルマが燃えると信じられています。苦しい事をあえて行うことで、つまりそれだけ頑張ろうという情熱がカルマを焼き切るというなんとも分かりやすいスポ根精神です。

それに比べると仏教はカルマを原因と結果の因果律の中に求めて、それを知的に発見し、それを知的に解決していくとなんとも文系的なやり方です。元々情熱的なインド人にはこの文系的なやり方よりも分かりやすかったんだと思います。また中庸よりも極端に走り安いインド人にはジャイナの教えの方が向いていたんだと思います。その為、ジャイナ教だけがインドで生き残りました。

苦行をすると何故カルマが消えるのか?他にも理由があります。それは苦行は誰のためにするかということです。

ジャイナの開祖マハビールの像を見ると微笑みを讃えています。マハビールは仏陀と同じく、インドの王族の子として生まれたと言われています。仏陀(ガウダマ)は弱小国の王子として生まれたのに比べてマハビールの生まれた国はもっと大きく、裕福だったと言われています。でも、全てを棄てて彼もまた出家します。仏陀のストーリとマハビールのストーリは凄く酷似しています。

マハビールは衣服も脱ぎ捨てて、すべての所有を放棄し、そして覚者になります。ジャイナのジナは勝利者という意味でマハビールの事を指します。悟りを開いた勝利者を信仰する教えという意味でジャイナ教と言います。

マハビールはものすごい苦行をしたのに彼の像は笑っています。多くのジャイナのお坊さんは今も、厳しい苦行をしていますが、皆微笑みを浮かべています。何年も断食をしているお坊さん、生涯しゃべらないと決めているお坊さん、色々な誓約(ディクシャ)を神に近い、それを守って行をしています。

彼らに聞くと分かるのですが、それ苦しくないかと聞くと、「自分の為にやっているわけではないから平気だよ!」と言います。

苦行は自分の為ではないと言います。じゃあ、誰の為なのでしょうか?彼らは神の為にそれをやっているんです。肉を食べないのは神が食べるなと言っているから神の為に肉を食べません。自分の一生のうち、何かを神に捧げて、自分はそれをやらないことでその苦行は神に捧げることになります。その時点でもう無私なんです。だから続けられるんでしょうが。

身体を痛めつけることは別に自分を罰している事ではありません。人からは理解できなくても彼はそれを神の為に神に捧げる儀式としてそれを行います。そうするとそこに神に対する強烈な愛が生まれます。タパス(熱)が生まれます。それが神に届き、神から偉大な恩恵(シャクティ)が与えられるからこそ彼らの人生はいつも平安に満ちたものになります。

苦行を嫌こと、無理なことと思ってやっている人とは根本が違います。自分が在りすぎる人にはどんな行も出来ません。行はそこに無私の心、自分ではなくて神のために行うんだという思いがあるから行えます。すべての人を平等に愛そうとしたマザーテレサの行はカルマ(行動)ヨーガの行でした。

様々な人達が自分と神との関係性の中で行を行います。そうすることでその行は成立し、神が祝福を与えてくれます。

私は肉は食べません。ヒーラーとして仕事をする上で肉食はマイナスにはなってもプラスになることは一切在りません。どんなに言い訳をしても多くの聖者や霊的な指導者は皆口を揃えて肉食は他の存在のカルマを取り入れることになるので良くないと言っています。特に人を癒すヒーラーはそうでなくても相手のカルマの影響を受けますから、肉食を続けている常に意識が低いレベルに置かれて簡単に相手の低い意識レベルと同調してしまいカルマが簡単に流れ込んで来ます。どんな結界を張ろうが何かに守って貰おうが肉食を辞めた方がずっとその効果は早いです。

お酒も飲みません。

後は嘘をつかないこと、

盗みをしないこと、

守っているのはこのぐらいですが、これだけでも無理だ、出来ないと言う人は多くいます。

無論それを人に私は強要しませんが、もし本当に神との縁をより強めたければ先人の知恵に従うのなら多少の誓約は必要になってきます。

その時それを苦行だから嫌なことだと思ってやればまったく意味を持ちません。

なんのためにそれをするのか?

それを守ることで神のためになっている、あるいは神を喜ばせているんだと思えるから素晴らしいんです。

苦行は意味が無いと切り捨てた仏陀と、苦行もまた楽しいものと受け入れたマハビールとどちらもそれぞれ一長一短ですが、ジャイナ教のお坊さん達に触れたときに彼らの高貴さは今まであったどの人達も素晴らしかったのを覚えています。

余談ですが、インドでもし、盗みにあったりして、一文無しになったらジャイナのお寺を探すと良いと聞いたことがあります。

何故ならジャイナの信者達は誰が来ても施しをしてくれます。

元々生き物を殺す仕事には就けないので必然的に商人やお金、貴金属を扱う人達がジャイナの人達は多く、嘘をつかない、約束を守るという性質からより周りの信頼を得て裕福な人々が寄進して作ったジャイナお寺はどれも見事ですし、また訪れると誰もが心から歓迎してくれます。キラキラと目を輝かして周りに集まってくる子供や大人達の姿を今でも思い出します。

コメント
この記事へのコメント
阿部さん:
いつもありがとうございます。

苦行は神のため

僧侶の微笑みはここから来ているのですね。
苦行とまでは行かなくても、自らの限界を感じたとき、すべてを委ね、大いなる意思が存在するということを感じさせていただく瞬間があるように思います。
感謝を込めて
2007/09/20(木) 05:57 | URL | ikko #-[ 編集]
ikkoさん、お久しぶりです。Gでお会いしてから大分経ちますね。その間に僕の方もいろいろと変化しています。

自分が苦しいから、自分を変えたいからと常に自分のためだけに何かをしている人と、まず神を優先し、神のためにその身を捧げている人では内面からその美しさは違ってくるでしょうね。

インドではほとんどのアシュラムや寺院はセパ(ボランティア)の人達で運営されています。それは強制でなくて皆自主的にやっています。理由は皆が神の為にそれを行うという気持ちがあるからなんでしょうね。

そこに本当に生きているように神を感じられる人の人生はそれだけで幸せです。


2007/09/20(木) 07:30 | URL | アベ #-[ 編集]
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